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長久手ぶらぶら散策日和 [1]観音様を訪ねる

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「古戦場公園再整備事坂道が多い長久手のまち。いくつもの丘陵が連なっていた地形が、わりとそのままに残されている。都会過ぎず田舎過ぎない絶妙な住宅地に、ショッピングモールや里山、田園が隣接する。大学や県の施設は、緑豊かな森がゆらゆらと美しい。
健康増進ウォーキングほど頑張る感じではなく、ふと思い立ってちょっとぶらぶら、できればちょっとだけいい気分になる…。そんな長久手スポットをお届けします。業市民ワークショップ(仮称)
古戦場公園みんなでやらんかい(会)その参」にお邪魔しました。

 長久手市役所から東へ歩いて数分のところに静かにたたずむ安昌寺。気持ちよさそうに揺れている色金山の木々を背景に、門前には樹齢30年を超す菩提樹のたたずまいが美しい。春になると、薄墨桜(うすずみざくら)がうっすらとピンク色のかわいらしい花を咲かせる。門を潜ると正面に本堂、手前左側に観音堂がある。御朱印もお願いできるので右側の寺務所(庫裏(くり))をお訪ねして拝受。尾張城東西国三十三カ所観音霊場の専用納経帳の朱印も同じく。境内にある子守石は夜泣石とも呼ばれ、子どもの夜泣き封じのため祈願に訪れる親子も多いそうだ。

 参拝の後は、色金山歴史公園にも登ってみよう。家康が座って軍議を開いたという床机石(しょうぎいし)や、市内が見渡せる展望台もある。入口付近には、おいしいお抹茶とお菓子が味わえる茶室「胡牀庵(こしょうあん)」で一息。すると、きっともう少しこの辺りを散策したくなる。お腹もすいてくる。この辺りは、地元に愛される名店が多い。そば、鰻、うどん、丼、喫茶、中華、ラーメン、蟹寿司、オーガニックランチ…なんでもござれ。

[色金山歴史公園]❶ 
長久手市岩作色金37-1 Tel 0561-61-3131

長久手市観光交流協会WEB
『国指定史跡・色金山・家康が軍議の際に腰掛けた「床机石」がある公園』

[首塚]❷
長久手市岩作元門41

長久手市観光交流協会WEB
安昌寺雲山和尚の情け

[安昌寺・あんしょうじ]❸
長久手市岩作色金92 Tel0561-62-0035

山号は久岳山、曹洞宗赤津雲興寺を本寺とした。本尊は釈迦牟尼仏。天正元(1573)年、雲山和尚により草創され、天正13年(1585)年丹羽氏次が田畑を寄付して創建。開基は雲山和尚。仏像、文化財など多数所蔵。

観音堂(安昌寺内)〜
嘉祥2年・徳永作。十一面観世音菩薩・木造・座像(御開帳は100年に1度)。
享保5(1720)年に諸道の大改装のおり、岩作間瀬口にあった観音堂の破損が甚だしかったので、安昌寺境内へ移転し再興され、現在にいたる。尾張城東西国三十三カ所観音霊場の第1番札所。鐘楼江戸時代に建てられた木造建築。

歴史をぶらぶら
安昌寺雲山和尚と長久手合戦」

天正12(1584)年、小牧・長久手の戦いにおいて決戦の地となった長久手。色金山に一時本陣を置いた家康。色金山の八幡宮(今はない)にて、足利氏が丹波篠山の八幡宮に祈願された故事にならい、雲山和尚に武運長久の祈願を頼んだと伝わる。勝利した家康は、八幡宮の加護によるものであると礼を述べて急いで小幡城へ向かったと伝わる。
激戦のあと、長久手の山野は秀吉軍、家康軍両軍の死屍が累々と重なっており、雲山和尚は、人々を指揮してその死骸を埋葬し、落ちたる首、屍も集めて手厚く葬り、その上に塚を作って印となした。尾張藩主はじめ、多くの藩士が当寺を訪れ、合戦にまつわる各種の書付を残した。

安昌寺観音祭り(毎年8月10日)

家内安全、五穀豊穣を願う夏の伝統祭事。観音堂をお花で飾ったことから「十日の華」、またこの日は功徳の中でも最も大きなご利益のある日で、この日に観音様にお参りすると九万九千日分のご利益を賜ることから九万九千日会(くまんくせんにちえ)」とも言われる。