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ながくてあれこれ 長久手帳 4

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知っておきたい長久手の今昔を、
年表、データなどなど、いろんな方向からご紹介。

年表「長久手のあゆみ」より

本文と年表の時代は
違いますので、ご了承ください。

ほんとに古代から人が暮らしていたんだ。

盛んだった焼き物

猿投山西南麓古窯跡群(猿投窯)は東海地方最大の窯跡群で、5世紀前半の須恵器生産に始まり14世紀に山茶碗生産を終えるまで約900年間大規模な生産が続けられた。瀬戸窯や美濃窯、常滑窯の母体として先進的な地位にあったとされる。ここ長久手はこの猿投窯に属し、飛鳥時代(7世紀後半)に作られた須恵器(市指定文化財 丁子田1号窯・市ヶ洞1号窯出土刻銘須恵器10点)が当時の都へ運ばれていたと推測される。

「おわりほととぎのさと」

今では市街化区域になったが、1300年前の集落の名前が飛鳥の都に納められていた焼き物の記録に残る。当時最大級だった須恵器生産地だったことがわかる。

 古墳群が点在

古墳は6世紀以降のものが11基以上あり、香流川上流域の開発者集落の統率者や有力階層が被葬者だと考えられる(市指定史跡 神明社第2号古墳)。どんな人たちが暮らしていたのか想像するとワクワクする。