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暮らしと自然の今昔 その一 水

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ざっくばらんにとりあげる雑人的長久手の郷土史

愛知用水の完成

「丘陵地帯に位置することで水は豊富になく、村と村とのミズゲンカ(水論)もよくあった」(長久手町史資料編四)。長久手に昭和36年愛知用水が完成する。渇水で農作物が育たず飢餓貧困に苦しむ人々の喜びはいかばかりだったか。この地で暮らした人々の苦労が江戸時代の記録にある。

例えば嘉永3年(1850)の災害の記録には、「農民は雑穀も口に出来ず、草木を食べた。疫病も流行した。村ではヨシ、コモ、ガマの土中にある根の白いところをゆでたり、フジ、カシ、カシワ、シイなどを灰の汁で煮てアクを取り、粉末にして食し、ショウブ、ノギク、松の皮なども食用にしたが、これらの草木に塩、味噌、醤油などの調味料を加えることすらできず、多くの人が死んでいったという」(長久手町史本文編)とある。

近世に至っても、水の苦労がつきなかったこの地の暮らしは、愛知用水の完成によって劇的に変化した。上郷地区の一部を除く長久手全域の「水」は、今もこの愛知用水によって支えられている。

水がないと暮らせない

地球上の様々な生き物や植物などの自然は、水がなければ生きていけない。空から降った雨水が川となり地下水となって、やがて海へ流れ、その海の水が大気中に蒸発し雲をつくって雨を降らす。この循環の営みのおかげで地球の水の総量は太古の昔からそんなに変わっていないそうだ。私たち人間は、川の水を分け合い水道用や農業用水に利用して暮らしを営んできた。天災や災害の折々に水が不足したり流されたりして作物ができず、たくさんの苦労があったから、皆が智恵を出し合い、水の確保に必死に取り組んだ。そんな時代があったことなど嘘のように蛇口から水が出ることはあたりまえになったけれど。川の水を浄水場で安全な水にして、まち中に配る仕組みや、家庭で使われた生活排水を下水処理施設できれいな水にして川に戻す仕組みを学ぶことで、水の大切さも心におきたい。

公園でも田んぼでも

暮らしを支えたため池や調整池もその役割を変えて、公園になり癒やしの空間になっている。住宅地の中に当然のようにある池がなぜそこにあるのか考えてみたり、そこかしこで田植えが始まる風景を見て、いつの間に水が張ったの? と不思議に思ったことはないだろうか。田植えの時期は、水を出したり、止めたり、ポンプを使ってくみ上げたりする様々な仕組みを見ることができる。池のある公園で遊んだり、散歩したりする折や、田んぼの風景をながめながら、あるいは、食卓のお米をいただきながら、水や暮らしについて想いをめぐらせてみたい。

水のことなら
長久手市浄化センター6月1日から7日まで、長久手市浄化センターにて木曽川源流水が無料配布されました。

長久手は読めない地名がたくさんあって、田んぼもあって驚きました。
今年4月から市役所で働く、名古屋は大須育ちの川合主真(かずま)さん。[写真左]
水の大切さをぜひ知って欲しいです。節水のご協力もお願いします。
下水道課 古橋剛さん。見学等お問い合せは、下水道課 TEL 0561-56-0624 古橋さんまで。[写真右]