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石作神社(いし つくり じんじゃ)

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神社から学ぶ、合戦以外の長久手ヒストリー

西暦834年に「人皇54代人明天皇」の承
和元年に現在の石作神社の祭神である「建麻利根命」が、現在の岩作早稲田交差点付近の巨岩自然石に降臨鎮座したことから、「石作連」と言われる当時の豪族郡司が氏の祖神を祀るために創建し現在にいたっており、祭神は「建麻利根命」である。
石作神社には次の末社がある。

神社境内の末社 恵比須神・大黒神神社
熱田社一之御前社白山社 津島社
鍬神社 山神社
神社境内外の末社 直會神社

万永元年 岩作村
(長久手町史より)

岩作(やざこ)

上古の時代から代々尾張の国山田郡付近一帯を治政してきた豪族郡司で垂仁天皇御世11代皇后(日葉酢媛命)に石棺を作り献上したことで「石作連」の姓を賜ったと言われている(連とは大和王権の大王から賜る称号)。
石作氏は尾張藩の支族で、当時の山田郡石作郷一帯の地域を支配していた。
秀吉の時代までは石作郷(村)と言われていたが、天正時代頃に山田郡が廃絶となり、当時の石作村が愛知郡岩作村となって、石作が岩作に改称したといわれている。
石作郷は南は現在の日進市浅田付近まで、西は現在の名東区藤が丘付近まであり、付近には村も集落もなく岩作(石作)が中心であったと言われている。

石作連とは(いしづくりれん)

古代の弥生時代に一宮の浅井町から、現在の岩作雁又の地に浅井姓の4~5家族が開拓のために移住したのが岩作が発祥した地
で、平安時代にはすでに30数戸の集落があっ
たと言われている。岩作の地名発祥の語源は、色金山山頂の巨石(胡牀石)の古代の「岩くら信仰」により発祥したとも伝えられている。
(注:「岩くら信仰」とは。
高い山の頂上にある巨石は「神座石」といわれ、神々の降臨を祈り一族の繁栄を祈念したこと。)

岩作田地80余町歩の開拓者

古代から江戸時代までの「浅井氏」「加藤氏」「林氏」「福岡氏」「日比野氏」「倉知氏」等の人々であるが、「浅井氏」だけでも4系統以上あると言われている。
なんと昔からこの地に人が暮らしていたのかと正直驚く。江戸時代に描かれた古い地図にも堂々とその姿が見られる(*1)。
今も田園風景が残るここ岩作には、1906年(明治39年)上郷村、岩作村、長湫村の3
村が合併した長久手村の成立とともに村役場が置かれた。初代村長は、尾張藩士で岩作村に給知を得ていた吉田知紀の子、知行が就任。以来、消防署、商工会などまちの中心としての機能を持つ。

石作神社に祀られている「恵比須様と大黒様」

天保9年頃(西暦1838年頃)に制作寄贈された檜造りの御神像様二体で(制作寄贈者は不明)、当時岩作村は亜炭採掘や小商いを元にした商業活動が興り、村は活気に沸いていた。その時期に現在の長久手市宮前に商業・農業の守護神として「石作連」が「恵比須社」を建立して祀り、以来明治初期に石作神社に合祀されるまで毎年旧暦の10月20日に恵比須講の日としてお祀りをして栄えたと伝えられている。
大正から昭和の初め頃の絵図を見ると、様々なお店が立ち並び、お芝居小屋や宿屋まであり、とても賑わっていた様子がうかがえる(下図)。
それでも、日々の暮らしは決して裕福ではなく、商売の傍ら田畑を耕し、つつましく暮らしていたという。

長久手やざこえびす

商売繁盛の神様と言われる恵比須神が大切に祀られたのもそんな暮らしがあったからだろうか。「家内安全」「商売繁盛」を願う人々の願いを受けて、石作神社に合祀されていた「恵比須神」と「大黒神」を祀る神社(社)が平成25年6月1日に建立された(左写真)。

【石作神社】
長久手市岩作宮後17番地