「小牧・長久手の戦い」の中でも激戦が繰り広げられた 長久手合戦。その主戦場だった跡地は、昭和14年9月7日に国指定史跡長久手古戦場に指定され、史跡地を含む一帯は古戦場公園として長く親しまれてきました。今回、合戦当時の地形や展望に近づけることで「指定地内の地形が、大きな変化を受けることなく残されていること」の価値をより高め、また、合戦の概要や重要性をより発信し「語り継ぐ」ことにも期待が高まっています。地上1階、地下1階の施設には体験型の展示室やフィールドミュージアムもあり、子どもたちにも大人気の予感です。

オープンに向けて
作戦始動!
いざいざ、オープン大作戦!
今一度、長久手合戦を振り返り、郷土の歴史として語り継いでいこう!と、「いざいざ、オープン大作戦!」が始まりました。どちらにもあまり興味がなかったという方も、この機会にぜひご参加ください。長久手合戦のみならず、長久手のまちのことも新たな発見をご一緒に楽しみましょう。


「いざ!その1」開催されました
このまちの魅力を再発見。
山村亜希先生とまち歩き
まちの不思議を見つけてみよう〜
今私たちが暮らす場所は、いったいどんな土地で、いつからどんな人がどんな暮らしをしてきたのか、不思議に思ったことはありませんか。長久手のまちを訪れる方からは、こんなに坂道があってアップダウンがあることに驚くと聞きます。まちを歩いていても、突然に景色が変わって驚いたり、神社の鳥居の位置が気になったりします。立石池のように大きな池もあれば、血の池公園のように池の名前がついているのに池がない公園も不思議です。人が暮らしてきた場所、森、川、谷、田んぼや畑、道…今、目に見える風景や景観から、まちの不思議に迫っていきます。

まちの不思議を見つけ不思議を紐解く「歴史」と「地理」〜
なにげなく目に映るまちの風景や景観には、そのまちが「これまで培ってきた歴史であったり、もともと持っている地理であったり、そういったものが深く刻み込まれている」ので、それを丁寧に重ね合わせていくことで、「その地域のオリジナルな個性に結びつく」と山村先生。京都といえば!静岡といえば!と、ご当地の名所を思い浮かべて、その地域ならではの風景や景観を見るのは旅行の楽しみでもあります。「景観というのは、本当に唯一無二のもの」というのも納得です。山村先生と一緒に「古い地理と歴史を紐解きながら、現代の景観を読み解く」ことで、長久手の魅力を再発見していきます。

長久手合戦の折、岩崎城にて散った加藤忠景の城館跡。幅3~6m、深さ1.7m~7.5mの掘割を挟んで、台地の平面をもつ東城と長方形の西城が並立する連郭構造であったことがわかっている。

徳川家康家臣渡辺守綱らが血のついた槍や刀を洗った池。毎年合戦のあった日に池の水が赤くなるという伝説から「血の池」と呼ばれる。今は埋め立てられ公園になっている。


山村亜希先生
歴史地理学を専門とする地理学者、京都大学教授。主な研究テーマは、日本の中世都市の景観史。テレビ番組「ブラタモリ」出演で知られる。
長久手ってどんなところ?
尾根と谷が入り組んだ地形
木曽山脈の山々が南下し広大な丘陵地帯となるなだらかな尾張丘陵のほぼ中央に位置しています。
地形は比較的複雑で、河川に沿って広がる平地に、起伏に富んだ丘陵の尾根が鶏足のように入り組んでいます。南東が高く、北西が低いアップダウンのある丘陵地帯です。三ケ峯丘陵、大草丘陵、前熊丘陵、岩作丘陵、中央丘陵、長湫丘陵の陵線がまわりの市町との境界になっていました。現在は社会の変化にともない、その自然の地形や景観も変わりつつあります。
フィールドワークを体験して。
地図を片手に、昔の地形をなぞると、なんだかその当時の風景がイメージできるから不思議です。今、ここで戦っているその瞬間にタイムスリップしたような感覚を覚えました。ここから敵へと走りこんでいったのかな、谷に追い込む作戦だ、尾根づたいに進軍して常に敵より優位に動けるようにしよう、なんて想像してドキドキ。尾根と谷を舞台にした野戦とおそらく当時の人々の暮らしが営まれていただろう長久手城周辺のようすなど興味深いお話とともにあっという間のまち歩き。普段、ついつい車に乗っていたら気にならないことも気がつきました。野戦を戦っている自分をイメージすると、いつもはつらい急な坂もなんだかスイスイ歩いていました。
記念館オープン直前「いざ!その3」にて、
再び山村先生の講座を予定しています。
どうぞお楽しみに!