「坂道が多い長久手のまち。いくつもの丘陵が連なっていた地形が、わりとそのままに残されている。都会過ぎず田舎過ぎない絶妙な住宅地に、ショッピングモールや里山、田園が隣接する。大学や県の施設は、緑豊かな森がゆらゆらと美しい。
健康増進ウォーキングほど頑張る感じではなく、ふと思い立ってちょっとぶらぶら、できればちょっとだけいい気分になる…。そんな長久手スポットをお届けします。
古墳時代後期の古墳群がある⁈
長久手をほぼ東西に流れる香流川の流域は、周辺地域の古墳や遺跡から追っていくと7世紀ごろから本格的に進行したようだ。集落が形成されたと想定されるのは、熊張、前熊、岩作各地域の現在集落が集中している地域か、その周辺部。古墳時代後期(6世紀初めから7世紀の半ばごろまで)の遺物が採集されているのは熊張大草地区、熊張北熊地区あたり。
こんなに昔から人が住んでいて、しかも集落や道の様子は江戸時代に描かれた絵図とほぼ変わらない。丘陵地を活かしたまちなみと田園風景は長久手でもいちばん癒されるスポット。寺社めぐりや歴史散策も楽しい。最近は美味しいスイーツやパンのお店もオープン。民泊施設も温泉もある目が離せないエリアです。
[古墳群]
後期古墳は高根山古墳群(岩作丘陵の北端から色金山に分布)、熊張古墳群(熊張大草の大草丘陵南部に分布・→助六古墳群と神明社古墳群がある)、香流川上流南部古墳群(三ケ峯丘陵北部)の3つの地区に築かれている。規模からみて熊張古墳群のグループがもっとも有力な階層とみられ
歴史をぶらぶら「大草城跡」
ここ大草には、小牧・長久手の合戦よりさかのぼること約400年前、鎌倉初期の頃、自然の要害の上に構築された砦だったといわれる大草城の跡が残る。承久の乱(1221年)にて東国北条方が勝利したのち、廃城となっていたのを、織田信長の命により改修したのが、長久手合戦の折、27歳にして散った若武者、鬼武蔵とよばれる森長可。大草城の敷地は約66,000㎡。現在の熊野社(当初は八幡社の支社)や永見寺、杁ノ洞もその地内だったようだ。