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天下人2人が直接対決した 小牧・長久手の戦い

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ざっくばらんにとりあげる雑人的長久手の郷土史

「長久手での秀吉軍の敗戦は単なる局地戦の敗戦ではなく、まさに日本の中心である京までも騒乱に 陥れる一大事だった(*1)」といわれるほど、当時の京の人々が大騒ぎした大激戦がここ長久手で起こった。これを長久手合戦という。

天正12年(1584)4月9日、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍が、長久手にて激しくぶつかり合う。秀吉軍の名将池田恒興、長男元助、恒興の娘婿で鬼武蔵と恐れられた森長可が討死。多くの戦死者で血の川がながれたといわれる長久手の合戦は秀吉軍の敗戦に終わる。
 「激戦の終結は、午後2時ごろ。家康は4時半頃に北の小幡城へ入る。これを聞いた竜泉寺近くにいた秀吉は、家康を攻撃しようとしたところを諸将に朝まで待つように言われ思いとどまり、一方家康は秀吉に夜襲を掛けようという家臣を退け夜の8時頃ひそかに小幡城を出て小牧山に帰った。翌朝、これを知った秀吉は仕方なく自分の本営へ帰った(*1)」という。
*1= 『長久手町史 本文編』

もう1時間長久手から引きあげるのが遅れたら、あるいは秀吉がもう1時間早く竜泉寺へ来ておれば、両軍は大森あたりで激突したはず(*1)。

 もしかしたら、秀吉の天下が無かったか、はたまた家康の天下が無かったかと歴史の「もしも?」に思いを馳せる。この激戦の後、同年11月、秀吉と信雄の間で和議がなされ、8ヶ月にわたる「小牧・長久手の戦い」が終結。この戦は、信長政権から「豊臣政権の成立過程を理解する上でも非常に重要なテーマ(*1)」を持ち、家康は秀吉に臣従するが、後に江戸幕府を開設していく力を貯えたといわれる大変重要な戦いであった。

木下勘解由塚
武蔵塚(森長可)

御旗山
堀久太郎秀政本陣地跡

首塚
色金山
庄九郎塚(池田元助)
勝入塚(池田勝入)
長久手城趾

古戦場公園みんなでやらんかい(会)
 古戦場公園みんなでやらんかい(会)とは、古戦場公園において、市民主体で活動する組織の設立に向けた会です。平成30年度からワークショップを行い、古戦場公園で楽しく活動することを目指しています。
 今年度以降も古戦場公園で活動していただく市民主体の組織の設立を目指して取り組んでいきますので、是非今後の取り組みもご参加くださいますようよろしくお願いします。
問合せ先 長久手市くらし文化部生涯学習課 
電話0561-56-0627 FAX0561-62-1451


(一社)長久手市観光交流協会
観光交流サポートセンター
令和2年6月以降オープン予定!

古戦場郷土資料室の一角に、
観光交流サポートセンターをオープンします。
 長久手コレクション(長久手のコト)や長久手セレクション(長久手のモノ)をどんどんご紹介します。ちょっと座ってお話できる談話スペースもご用意。長久手の郷土史を紐解きながらひと時をお過ごしください。初めて長久手に来たという方も長久手を知り尽くした方もどうぞお立ち寄りくださいませ。
 「サツキとカエデ商店街」という旗を目印にお越しください。
(*サツキ:長久手の花 カエデ:長久手の木)
営業時間午前10時から午後3時
休業日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)(郷土史資料室の開室時間、休室日とは異なることがあります。ご了承ください)

※諸事情によりオープン日程が変更になる可能性があります。市のHPまたは、(一社)長久手市観光交流協会のHPにご案内します。