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長久手の初代首長と18代首長

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ざっくばらんにとりあげる雑人的長久手の郷土史

開拓した八雲村に功績が残る
初代長久手村首長(村長)吉田知行(ともつら)

知行の父の知紀は、長久手に禄高400石を持つ尾張藩士で、400石のうち岩作村に156石余りを領し、維新後、岩作の「中島」に居を移して、明治6年に死亡。知行は尾張藩主徳川義勝(会津藩主松平容保の実兄)の側近として活躍。徳川幕府が終焉を迎え、困窮した尾張藩士たちを北海道に移住させるため、過酷な開拓を成し遂げ現在の八雲町の礎を築く。その後、1906年長久手村合併時に起きた首長問題に対し、各村民から信託を受け初代村長となる。死の間際、「自分が八雲で植えた桜の木の下で死にたい」と入植を指揮した場所で生涯を終えた。今も、時折名古屋弁が話される現地では、小学校の授業でその功績が語り継がれているそうだ。

※Check! 城山三郎著「冬の派閥」 青松葉事件

3期目を迎える
吉田一平市長に伺いました。

誰もが、かけがえのない存在として、誰一人取り残さないまちにしたいと思います。誰一人取り残さないための第一歩は、相手に寄り添い、とことん話を聞くことです。話を聞く側の価値観で、将来ばかりを気にして先へ先へと追い立てるのではなく、その人の存在そのものを認め、待つことができる。もっと、大らかに暮らせる長久手を皆さんと一緒につくっていきたいと思っています。
 そして、今を生きる大人たちにとっては、面倒なことかもしれませんが、災害時はもちろん、普段から、困っている人がいたら、当たり前に声を掛け、互いに支え合うことができる「つながり」をつくりたいと思います。
 まずは、あいさつを交わし、交流することで、より良い長久手市を皆さんで一緒に作っていきましょう。

今や市長のトレードマークともなった、オレンジ色の「あいさつベスト」。背中には、「まちづくり まずは笑顔でこんにちは」の文字が。

(吉田一平市長の漢字の「吉」は、上が土です)

首長って何?

その行政区域の最高責任者のこと。都道府県なら知事、市なら市長、町なら町長、村なら村長。「しゅちょう」英訳chiefs 市長(しちょう)との混同を避けるため「くびちょう」とも読む。