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旧長湫地区の氏神様 景行天皇社(けいこうてんのうしゃ)

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朝夕の寒さも日増しにやわらぎ、ポカポカとした日差しに包まれながらお散歩するのが楽しい季節となりました。みなさんは、ぶらり歩きで気軽に寄れて、気分転換のできるお気に入りの場所がご近所にありますか? 雑人のおすすめは、眺めがよくて緑にあふれた神社。前号に引き続き、神社特集2回目の今回は、旧長湫地区の氏神様として市民に愛されている「景行天皇社」をご紹介します。

名前の由来はヤマトタケルの父

古文書によると、第12代天皇の景行天皇は大和朝廷の勢力を拡大するため、息子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に列島東部を征討するよう命じました。そして、のちに息子の足跡をたどる行幸(旅)に出たといいます。旅の途中、この地区を通りがかる天皇を歓迎しようと豪族の石作大連が斎殿を造りました。それがもとになってできた神社であることから、景行天皇の名がついています。

丘の上にたたずむ荘厳な本殿

斎殿が造られた根の神の地から幾度かの遷座を経て、現在の西浦に落ち着いたのは慶長九年(1604年)。長久手郵便局や長久手交番のある通り沿いに神社の入口があります。鳥居をくぐると、その先は木々の生い茂る小高い丘。階段を上った先に、銅どう板ばん葺ぶきの荘厳な社殿が姿を見せます。また、本殿と並んで津島社・神明社・白山社の三つの末社があります。

景行天皇社と並ぶ癒しの空間
緑あふれる「富士社」

景行天皇社のすぐそばに、もう一つ神社があります。香桶信号交差点近く、御旗山の山頂に鎮座する「富士社」も旧長湫地区の人々に愛されているスポットです。御旗山は、長久手の合戦のときに徳川家康が陣取ったとされる国の史跡。後年に地元の青山氏が神社として創建しました。御祭神は、木コ之ノ花ハナ咲サク夜ヤヒ姫メノ命ミコト。ご利益は、子どもの虫封じなど。長い階段を上っていくと、生い茂る緑の中に小ぶりながら風格のある本殿が建っています。緑あふれる山の上で街を見下ろしながら、合戦当時に家康が見た景色はどんなだったのか想像してみてはいかがでしょう。

 

おもな祭典・行事

◆元日祭……一月一日
◆豊年祈年祭……四月一日
◆天王祭(津島社)……七月十六日
◆秋季例大祭……十月第二日曜日
◆新嘗祭……十二月一日

 

【景行天皇社】
西浦401番地
はなみずき通駅より徒歩6分

【富士社】
富士浦602番地
はなみずき通駅より徒歩12分

ながくて豆知識

長久手が「市」になったのは、平成24年(2013年)。それ以前はどんな歴史を歩んできたのでしょう? 最近この街に来たばかりの人も、ずっと前から暮らしている人も、ここで一度おさらいしておきましょう!

江戸時代
北熊村、大草村、前熊村、岩作村、長湫村
明治22年
長湫村、上郷村、岩作村が発足
明治39年
長湫村、上郷村、岩作村が合併し、
長久手村に
昭和46年
町制施行により長久手町に
平成24年
人口が五万人を超え、市制施行により
長久手市に

景行天皇社が見守る「旧長なが湫くて地区」
その地名の由来は?

「湫(くて)」とは、もともと尾張や美濃の方言で湿地帯や沼地を表す言葉。
川に沿って長く続く湿地帯だったことから、この名がついたという説があります。